人生の選択
今日のブログはとても長いですが、良かったら最後まで読んでいただければと思います。
社交ダンスがとても上手で、社交ダンスに思い入れが強くプロになりたい30歳くらいの女性がいます。ただ、彼女は、仕事が忙しくて、レッスンにも参加できない場合が多いようです。その点について、彼女を教えている先生は、以下のようにおっしゃっていました。
プロになって、生徒のレッスンをする立場になったら、「仕事が忙しいので、今日はレッスンはできないです。」というわけにはいかないです。なので、プロになるのであれば、残業等がない時間どおり仕事が終わる仕事に転職する必要があります。仕事をかえたくないのであれば、プロになるのは、あきらめて、社交ダンスは楽しみとしてやっていけば良いでしょう。どちらを選ぶかは本人の自由です。
私も、そのように思います。忙しい今の仕事のままでということであれば、それだけ忙しいのは責任の大きな仕事でしょうから、給料もどんどんあがっていき、お金を多く得ることができると思われます。そのお金を使えば、社交ダンスのレッスンも多く受けれますし、デモの費用などの捻出もむつかしくないと思います。プロになるため、時間が決められた仕事に転職になれば、今より給料が下がる可能性が高いです。「プロになりレッスン料+新しい仕事」の稼ぎよりも、今の仕事のほうが、お金を多く得ることができるのではと思います。忙しい仕事であれば、退職金も高いでしょうし、老後の厚生年金も多いと思います。決められた時間の仕事となれば、退職金も少なく、国民年金で老後の生活は裕福ではなくなる可能性が高いです。しかし、プロになれば、より社交ダンスに専念しやすいと思います。どちらを選ぶかは本人の自由です。
サルサの方々で、それぞれの選択をした方を知っているので、それぞれの方のエピソードは参考までに書かせていただきます。
エピソード1
私が東京で一番長くサルサを習っていた先生は、新婚で夫婦でサルサを教えていました。女性の先生は一般の仕事をやめてサルサの指導に専念していました。男性の先生は、たぶん新聞社に勤めており、給料も良かったのではと思います。
当時、多くの方がその先生方が日本で一番のサルサの先生のだと思っていたと思われます。そのように、すごい先生でしたが、先生たちは、サルサのさらなる高みをめざして、海外に約半年サルサの留学をしました。海外に留学するために男性の先生も仕事をやめました。海外から帰り、先生方のサルサは一段とすばらしいものになっていました。しかし、私生活では、お二人は海外から帰ってからしばらくして離婚をしました。
お二人の離婚の原因はわかりませんが、私は以下のように思います。
女性の先生がサルサに専念し、男性の先生が一般の仕事をということであれば、サルサについては、女性の先生のほうがメインで、男性の先生は、基本、女性の先生の方針にしたがっていたのではと思います。それが、おふたりともサルサに専念するということになれば、男性の先生も自分の考えを強く言うようになり、意見が対立するようになったのではと思います。また、男性の先生が一般の仕事をしていれば、そちらで安定した収入があり、サルサでの稼ぎが少ないときも問題なかったのでしょうが、サルサだけの収入でということになれば、サルサでより多くの収入をということになるので、そういう点でも難しい点があったのではないででしょうか。なので、離婚の一つの要因は、男性が一般の仕事をやめたこともあると思います。
私生活ではそうでしたが、サルサでは、女性の先生は、サルサの女性だけのチームをもっていましたが、そのチームは、世界の発表会のDVDの表紙をかざるような、すばらしいチームになりました。それだけ、おふたりの先生は多くのことを学んでこられて、生徒にもより多くのことを指導できるようになっていたのだと思います。
エピソード2
私と同じくらいにサルサをはじめた女性は、特に熱心にサルサにうちこんでいたのですが、仕事で東京から九州に転勤を言われたようです。彼女は、東京でサルサをするために、仕事をやめたようです。彼女は、その後、サルサの先生になりました。
エピソード3
九州で学校の先生をしていた女性は、サルサをするために、仕事をやめて東京に出てきました。当時(おそらく今もそうだと思いますが)、サルサは東京以外では、やっている地域は少なく、やっていても少人数がやっていただけの状況だったので、サルサを熱心にするには東京に出るしかなかったのだと思います。
その他
他にも、私が東京から帰る前に習っていた夫婦の先生は、おそらく、一般の仕事をやめてサルサに専念したと思います。他にも、そのような方も多かったと思います。反対に、一般の仕事ももちながらサルサの先生をしていた方も多くいらっしゃたと思います。一般の仕事をもちながら、サルサの先生をするほうが、経済的には安定したいたでしょうし、退職金もあるし厚生年金で年金も多いので老後も裕福です。ただ、サルサに専念していた先生方のほうが、生徒も多く、サルサの技術も高かったと思います。どちらがよいかは、本人の考えしだいです。
人は、皆、このようになるだろうと想定して決断をくだすでしょうが、必ずしも想定していたとおりになるとは限らないです。私のサルサ関係のエピソードを中心に書きます。
エピソード1
私は、20代をほぼ東京で仕事をしており、30歳くらいでやっと地元の愛媛に帰れたのですが、数年すると、私の職種が、地域では仕事が少ないと判断されて、「基本、東京で仕事をしてください、地元に残りたい場合は一時金は多少でますが給料30%カットになります」というふうになりました。私は、東京の生活がとてもしんどかったので、給料が下がっても地元で仕事をと思っていました。しかし、「愛媛の仕事は数年後になくなり、そうなると、一時金をもらっているので、30%カットの給料で東京で仕事をしないといけなくなる」という噂が大きくなりました。給料30%カットで東京で仕事はしたくないので、それなら、現在の給料のまま東京で仕事をと思い、東京で仕事をするこになりました。結局、愛媛の仕事場はなくなりませんでした。それだけを考えると、愛媛に残ったほうがよかったとも思います。ただ、東京にいったことにより、サルサに出会い、私の人生が大きくかわりました。また、東京にいった数年後、現状の給料のまま愛媛に帰るチャンスがあり、それを利用して私は愛媛に帰りました。
エピソード2
上記した、「東京にいった数年後、現状の給料のまま愛媛に帰るチャンス」のとき、サルサがとても楽しかったので、サルサをより楽しむのであれば東京に残るという選択肢もありました。当時、愛媛でサルサをやっているのは知っていましたが、少人数と思われそれほど楽しめないだろうと思いました。当時、私は40歳くらいで独身でしたので、年齢的には遅いですが、愛媛に帰り結婚をするか、結婚できなくても親の近くに住んで、親孝行しようと考え、サルサはできなくなっても良いので、愛媛に帰る決断をしました。
帰ってみると、愛媛では、思った以上にサルサが活発でとても楽しかったです。私は、ペアでもサルサの世界大会に出場したのですが、サルサのペアの大会は敷居が高く、予選自体誰でも出場してもよいのですが、出場するのはプロの先生か、教室の一番上手なペアが出場している状況でした。なので、仮に私が東京に残った場合、どの教室にも私より上手な方がたくさんおり、私がペアの大会の予選に出たいといっても、もっと上手な誰誰さんが出場していないのに私が出場したいとは言えないような状況でした。
なので、東京に残っていたら、ペアの大会の予選に出ることはなく、世界大会への出場もなかったでしょう。
エピソード3
私は、愛媛の団体のチームでも世界の発表会に選ばれており、チームに残っていれば、世界の発表会に出場できました。団体のチームに残っていれば、先生もおり、世界の発表会にむけてもたいへんなことはなかったでしょう。それに対し、ペアの大会の予選にむけては、先生もおらず、自分たちだけで、曲決め、曲の編集(2分という規定がありました)、振り付け、衣装、練習等、多くのことをしなければならず、ペアの大会の予選への経験のない私とパートナーでは、振り付けが完成せず、予選に出ることもできなかったでしょう。そのときに、東京で、ペアで世界大会へ出場経験のある友達が、その年は、たまたま自分たちがペアの大会に出場しないということもあり、私たちを応援にするために、振り付けの多くを考えて、愛媛まで来てくれたのです。それで、何とか予選に出場できたのですが、私はペアの大会の予選に出れればよかったのですが、日本大会、世界大会への出場となりました。東京の友達が、自分たちがペアの大会の予選に出場する年であれば、彼が私たちの応援する余裕はなく、私たちはペアの大会への予選にも出れなかったでしょう。人生の綾です。
エピソード4
私は、精神の病気を患って、会社を休職していました。私が勤めていた会社は、福利厚生がよく、休職中でも給料がいくらかでました。会社を休職していた当時の私は、「会社に貢献していない休職中の社員に対して、会社が嫌がらせをしてやめさそうとしている」と考えており、退職したら、嫌がらせがなくなるのではと考え、主治医の先生や、産業医の先生に何度も退職の申し出をしました。そのたびに、主治医の先生や、産業医の先生は、「最後まで復職をめざしてがんばりましょう」と言ってくださっていたので、期限いっぱいまで復職をめざしました。結局、退職た現在でも、嫌がらせをされているように感じているので、早く退職しても状況は同じで、早く退職したぶんの給料の収入がへっていたことになります。休職中は社交ダンスを止められていたので、早く退職すれば早く社交ダンスをはじめられてはいましたが、収入が少なくなったぶん、社交ダンスにかけれるお金は減っていたとは思います。そのあたりは微妙です。
私のエピソードを書かせていただきましたが、このように、人生は、このようになるのではと思い、決断してもそうならない場合が多いです。社交ダンスのプロになる件についても、現状を考えると、私は以下のように思います。
社交ダンスは若い人があまりやっていないため、将来、あまり多く生徒は期待できず、収入的には、忙しい今の仕事のほうが、「社交ダンスの先生+時間が決められている仕事」より収入が高いと思われます。ただ、プロになれば、自分の好きな社交ダンスをより高いレベルで楽しめます。
このように思いますが、以下のようになる可能性もあります。
可能性1
社交ダンスが若い人たちにも人気がでて、社交ダンスをする人が増え、収入的にも社交ダンスの先生をやっているほうが高くなり、社交ダンスの先生の仕事だけで生活できるようになる。
可能性2
同じ会社での部署の移動により仕事の内容がかわり、その仕事が、社交ダンスより充実して、より、仕事が楽しくなる。それによって給料もかなり高くなり、その給料で、より多くのレッスンを受けれるようになり社交ダンスが上達する。
そういうこともありえるわけで、将来のことはわからないです。ただ、大事なのは、どのような決断をしたにしろ、その決断にそって、ひたすら努力をすることだと思います。私は、サルサは、そんなに素質はなかったですが、ひたすら練習したので、世界大会へ出場したときのパートナーのポテンシャルを出させるようなリードができたと思います。また、ひたすら練習をしていた私たちをみて、多くの方が応援してくれたので、ペアの予選に出場でき世界大会へも出場できたのです。
多くの人は、ひたすら努力をしている人を応援したくなると思います。私は、サルサで、メンバと固定して練習するクラスに入った時、一番サルサ歴が短く一番下手でしたが、一番練習したので、先生が特にめをかけてくださってたように感じています。サルサのときもそうでしたし、社交ダンスもそうですが、先生方も、あまりうまくできなくても、ひたすら努力をしている人たちへの指導が、より力がはいっているように思います。ペアダンスはシャドーの練習も大事ですが、ペアでの練習が大切です。私は57歳ですし、腰や膝が痛いですが、がんばって練習している方に対しては、多少どこかが痛くても、私でよければ、できるだけ組んで練習をするようにしています。
この件の最後に、現在の私の決断を書きます。
私は、「在宅のみ仕事が可能」という診断書で、仕事をしなくても老後の資金は十分にあります。そのような状況ではありますが、私を思い通りにしようとしている人たちは、私を愛媛県外で働かそうとして、さまざまな嫌がらせをしてきているように強く感じています。「在宅以外で仕事が可能」という診断書がでたらですが、私を思い通りにしようとしている人たちのいうことを聞いて、愛媛県外で仕事をしたほうが、嫌がらせが少なくなり楽ではあるでしょう。
しかし、私は、愛媛県外で仕事をすることはないです。私は、現在、高齢の母と、妹と3人で暮らしています。高齢でがんの手術もした母にできるだけ負担のないようにと思いますが、妹は、通勤時間の長い場所で仕事をしており、家のことをする余裕はあまりないです。なので、私が、家にいて、家のことは、今後ずっとやっていきます。また、私が住んでいる地域は、高齢化がすすみ若い人がほぼいません。57歳の私が若いぶるいです。なので、お世話になった地域に恩返しをするためにも、今の家にすんで、地域の行事をできるだけやっていきます。
「在宅以外で仕事が可能」という診断書がでたらですが、家から通える場所での仕事をする選択肢もあります。しかし、私は、老後の資金は充分にあり仕事をする必要はないです。現在の、社交ダンスを中心にした日々は、ても充実しており、レッスンを減らしたくはないです。仕事をすると、疲れがでますので、社交ダンスのレッスンを減らさないといけないです。私は57歳ですから、社交ダンスのレッスンを今のようにできる期間はかぎられていると思います。なので、今のうちに、社交ダンスをできる限りやりたいのです。
仕事は、生きがいのためかお金をかせぐためにすると思います。私は、社交ダンスが生きがいです。また、老後の資金は、充分にあります。なので仕事をする必要はないです。なのに、なぜ、私を思い通りにしようとしている人たちが、私に愛媛県外で仕事をさそうとしているか、私にはよくわからないです。
現在の私には、社交ダンスのパートナーはいないですが、ひたすら練習をして、上手になれば、私とペアを組みたいという女性がでてくるかもしれないです。そうなれば、ペアのレッスンは費用を折半できますから、出費がへります。また、社交ダンスは女性が多いので、全額費用を払っても、男性とペアを組みたいという方もいるように聞いています。可能性はほぼゼロでしょうが、私が特に上達すれば、そういう方がでてくるかもしれないです。そうなれば、支出が減るわけですから、結果的により裕福になります。
私は、社交ダンスのプロにはならないですが、可能であればアマチュアの指導員の資格をとれればとは思ってはいます。私は病状のこともあり、愛媛県外に何度もいかないといけない競技会にでるつもりはないですが、病状がよくなり、愛媛県外にいくことができるようになれば、パートナーがいれば競技会にでることもできるかもしれないです。競技選手になれば、指導員の資格の条件が緩和されたと思います。また、メダルテストの上の級までとれれば、指導員の資格の条件が緩和されたと思います。
私は、サルサで教室を開いていた経験もありますから、サルサの経験をいかすことによって、他の先生とは違った、社交ダンスの指導ができればとも思います。社交ダンスの先生になることはないでしょうが、ともかく今は社交ダンスを上達しようと思います。競技選手や指導員は無理だとしても、ともかく社交ダンスの上達をめざせればと思います。
とても長くなりましたが、プロになるかの判断の件については、以上です。
今日は、窓の工事がありました。工事の方々は、とても丁寧に対応してくださいました。とてもありがたいです。いつも書いていますが、私は、今後ずっと今の家に住み、家のことは私がやっていきますので、このような窓の対応も私がやっていきます。
今日も、さつまいもの水やりと、豆の柵の解体をしました。昨日も書きましたが、母は高齢ですので、だんだん野菜を育てる量は減っていくと思います。私は、今後ずっと今の家にすみ、野菜を作っていきますので、母の手伝いもなるべくやっていこうと思います。母の手伝いをすることにより、野菜の作り方もだんだんおぼえてきます。
今日も、私が以前勤めていた会社の株が下がり、含み損が増えました。
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