挨拶されるのも気になりますが
私の病状のひとつに、誰かに挨拶をされたのが気になるということがあります。なぜ、挨拶されるのが気になるかというのは、「病気の症状(その2)」に書いていますが、長くなるので、一部だけ抜粋します。
だいぶ前からですが、私が自転車で道を走っていると対向する見知らぬ、自転車の人や歩いている人が、私が見た限り挨拶するようなことをおこっていないのに挨拶をしていることが多いです。たまたま、私の見えない所(私の後方とか)で挨拶した人が、挨拶するようなことがおこっていた可能性はあります。しかし、自転車や徒歩の人が挨拶するのは、私が出かけて帰る時までに、毎回何度もおこります。
そうすると、その挨拶は私に対して行われており、挨拶をした人は、私を思い通りにしようとしている人たちに言い含められて私に挨拶をしているように感じます。挨拶をしてきている理由は、私が思うに「県外で仕事をすることが決まったのでよろしく」という意味でいってきているように思うのです。そうすると、その挨拶に私も挨拶をしてしまうと私を思い通りにしようとしている人たちに対して、私が、県外で仕事をするのを了承したと言っているように思われる可能性があると思うようになりました。
上記のようなことを、私を思い通りにしようとしている人たちに繰り返しされたので、現在の私は、普通に挨拶をされただけでも、「県外で仕事をすることが決まったのでよろしく」という意味でいってきているように感じてとてもしんどくなります。しんどくなると病状にも悪いです。
なので、病棟のスタッフの方には、私には、できるだけ挨拶しないようにお願いはしていました。しかし、病棟のスタッフの方は挨拶をしてくる場合も多いです。スタッフの方がいうには、患者さんにあったら、「挨拶するようにくせずいているので」ということです。確かにそうですよね。
また、上記理由があるので、私は、誰かから挨拶をされても、挨拶を返さない場合も多いです。しかし、挨拶されたら、挨拶を返すのが礼儀です。挨拶されるのもしんどく病状に悪いですし、挨拶を返すのはさらにしんどく病状に悪いですが、今後は、しんどくても、理由があって挨拶をされたら挨拶を返そうと思います。理由もなく挨拶をされたときは、挨拶はかえさないですが。
これも、自転車の件、音や声の件と同じく認知行動療法のひとつとして、実行していこうと思います。何度も書いていますが、私は今後ずっと今の家にすみますので、挨拶を返したからといって、私が今の家から出ていくことに了承したというわけではないです。
今日は、以前から習っている教室の社交ダンスのレッスンがありました。以前から習っている教室の先生方や今年から習っている教室の先生が、上手に指導してくださってますので、それなりに上達はしています。しかし、サルサの時のように上達はできてないです。
理由は、何度も書いていますが、サルサは1種目に対し、社交ダンスは、パーティで踊るには最低でも、ワルツ、タンゴ、ブルース、ルンバ、チャチャ、ジルバの6種目は踊れないといけないので、1種目に対して練習できる時間が、サルサに比べて、大幅に少ないです。器用な方は、複数の種目を習っても、どれもすぐに上達するのでしょうが、私はそれほど器用ではないので、あれもこれもはできません。病状の認知行動療法と同じく、一度に多くのことはできないのです。
先週の日曜に、以前から習っている教室が所属する団体のフェスティバルがあり、以前から習っている教室の先生と、いずれも共演で、ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャの4種目のデモを行いました。次回の、今年から習っている教室の先生とのデモは、12月のT教室の発表会で、先週の日曜と同じく共演で4種目を踊ります。振り付けは、先週の日曜から変更の予定はないです。
私は、ワルツでライズをしたとき、バランスがとれず前後に倒れそうなときがあります。デモのお相手がプロの先生ですから、私がバランスをくずしても何とかしてくださいますが、それではよくないです。12月のT教室の発表会までには2カ月あります。なので、この機会に、ワルツを集中的に練習をして、せめて、バランスを崩すようなことがないようにと思います。また、ライズの時、足がそろってないときが多いので、こちらも12月の発表会までには何とかできればと思います。
以前から習っている教室の関連は、12月の発表会の次は、2月に発表会があるので、それにむけてタンゴの練習を集中的に。4月にラテン2級のメダルテストがあると思われテストを受けるので、そちらにむけてラテンの練習。7月か8月くらいに以前から習っている教室の発表会があるので、こちらは、ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャのうち、いずれか1種目を独演にして、残りの3種目を共演にするので、振り付けの練習等もやっていくことになると思います。それ以降については、以前から習っている教室の発表会が終ってから考えます。上記のように考えてますが、先生方とよく相談してきめていこうとは思っています。
今年から習っている教室の関連のデモもあるので、うまく調整していかないとと思います。
ダンスのレッスンの後、マッサージに行きました。マッサージの後、スポーツジムに行き、「ストレッチ」「マシン」「プール」「お風呂」の順に行いました。マッサージの後だったので、ストレッチは控えめにしたのですが、マッサージの後もストレッチをしたほうがよいのかわからないです。
スポーツジムでは、ロッカー等を選択しないといけないのですが、私の病状のひとつに数字が気になるということがあります。詳しくは、「病気の症状(その1)」を読んでもらえればと思います。こちらも、なぜ数字が気になっていったかを「病気の症状(その1)」にも書いていますが、私を思い通りにしようとしている人たちがやってきたことを書いておきます。
数字に関して言えば、ある特定のナンバーの車を、私が自転車で走っているときや、私がバス停等で待っているとき等に、何度も何度も走らせます。複数の車のナンバーにの一部には常に同じ番号が記載されています。それらの車は、一度、私の前を通過させるだけでなく、一度、私の前を通ったあと、また戻って来て私の前をとおったりします。上記したようなことを何度も何度も何度も行われます。そうすると、最初は何も気にならなかった数字が気になるようになっていくのです。
また、何分という時間に偶然私が何かをした場合、その何分というのを私に強く思い込まそうとして、さまざまなことをしてきます。例えば、その何分の時間にあわせてメールを送ったりしてきます。
他にも、時計や、温度に関する装置、誰かが発する数字等、世の中には、さまざまな数字に関するものがありますから、それらを使って、私を思い通りにしようとしている人たちは、私が特定の数字が気になるようにしていくのです。数字が気になると、その数字の時間や日付が気になるようになりますし、誰かが発した数字も気になるようになります。
このように、私を思いどおりにしようとしている人たちから、数字に関することが気になるように思いこまされているので、数字に関することも、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈されるのではと強く感じ、とてもしんどいですし、病状にも悪いです。最近は、極力車のナンバー等、数字にかかわるものは見ないようにはしてますが、一度、気になり始めたものは、元にもどるのはむつかしいです。
なので、私は、何をするにも、極力、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈される可能性が少ないのではと思われる数字を選んではいます。ただ、上記した車のナンバーの件等で、ある程度想像はできますが、どの数字が、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈されるかはわからないので、何ともいえないところです。
スポーツジムのロッカー等で、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈される可能性が少ない数字を選ぶことはできますが、できれば、自分の荷物にあった形状で、高さも都合がよいロッカーを選びたいです。なので、あえて、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈される可能性が高い数字のロッカーを選ぶことはしませんが、自分が使いやすいロッカーが、私を思いどおりにしようとしている人たちに都合よく解釈される可能性が高い数字であっても、そのロッカーを選択できればとは思います。(人が着替えている場所の近くや、着替えを置く場所が重複する場合は、その人の邪魔になるので、できるだけ、そのロッカーは選択はしないようにとは思います。)
これも、認知行動療法になります。何度も書いていますが、あれもこれもとなると、どれもできなくなるので、これを実行できるかは微妙ではありますが、できれば実行できればとは思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません