危険な行為を平気でするのは、私を思い通りにしようとしている人の一部ではあると思います。

昨日の「危険なチェーンソーの作業の最中でも嫌がらせをされます」の投稿で、以下のように書きました。

チェーンソーを使う作業が危険であり、集中できないとより危険であることくらいは、私を思い通りにしようとしている人たちでもわかるのではと思います。それでも、危険な作業の最中でも嫌がらせをやめないのは、私を思い通りにしようとしている人たちは、チェーンソーを使う作業が集中しないと危険であることもわからないのか、それか、私が大怪我をしようと死のうと、どうでもよいと思っているのでしょう。そうとしか、思えないです。

以前も似たようなことを書きましたが、私を思い通りにしようとしている人たちの全員が、「チェーンソーを使う作業が集中しないと危険であることもわからないのか、それか、私が大怪我をしようと死のうと、どうでもよいと思っているのでしょう。」という人たちばかりではないとは思います。

私を思い通りにしようとしている人たちの大部分は、普通に危険なことがわかったり、私に大怪我や死んだりしてほしくはないと思っているとは思います。しかし、チェーンソーの作業をしているときでも、嫌がらせをしてきていることは事実なので、私を思い通りにしようとしている人たちのなかに、「チェーンソーを使う作業が集中しないと危険であることもわからないのか、それか、私が大怪我をしようと死のうと、どうでもよいと思っている」人がいるのも、間違いないでしょう。

何度かブログに書いていますが、私を思い通りにしようとしている人たちは、他にも危険な行為を平気でしています。多く書くと長くなるので、一つだけ書くと、私が電動自転車で道を走っていたら、道より高い位置にある家から、私の自転車の横を、上下差を利用してすごい勢いで、私の自転車の横を通過していきました。私はあやうく転倒しそうになり、無理をしたので体も少し痛めました。そのときは、たまたま転倒しなかったですが、道は、カーブが終わったような場所で車からも見ずらいと思うので、転倒して、車が気づくのが遅れたら、車にひかれて、死んでいたかもしれないです。私だけでなく、すごい勢いで通過した方も、操作を誤ったら、私とぶつかり、二人が転倒ということもあったかもしれないです。ちなみに、その日は、雨が降った後で、道が濡れており、より危険でした。

上記は1つの例ですが、このような危険な行為も、私を思い通りにしようとしている人たちは、何度もやってきています。なので、私を思い通りにしようとしている人たちのなかには、危険な行為がわからないのか、私や自分が使っている人たちが、大怪我や死んでも平気な人がいるのでしょう。チェーンソーを使う時に、集中してないと危険なことくらい、小さな子供でもわかると思うのですが。

今日、同行援護従業者の研修の受講決定通知書が届きました。研修は予定どおり受け資格はとりますが、昨日の「危険なチェーンソーの作業の最中でも嫌がらせをされます」の投稿に書いたように、木の伐採が終わるまでは、同行援護従業者の仕事は少なめにと思います。また、木の伐採が終わるまでは、同行援護従業者以外の仕事はできません。

昨日の投稿に以下のように書いたように、木の伐採作業はとても大切です。

木の伐採は、たいへんですが、必ずやらないといけないです。伐採をして根を掘り起こして作物を植えれるようにならないと、法律上、母の妹に売れないのです。このまま、うちの畑ということになれば、何かあったときに、私が対応しないといけないので、今住んでいる場所から、その場所にいかないといけないのですぐに対応はできないです。母が亡くなったら、車で送ってももらえないですから、必要な機械ももっていけないです。母の妹であれば畑の近くに住んでいるので、素早く対応ができます。

母の妹の気がかわって買ってくれなければ、私が亡くなった後、甥っ子や姪っ子が対応しないといけなくなるので、うちの名義のままだと、甥っ子や姪っ子に迷惑がかかります。なので、ちゃんと売れるように木を伐採しないといけないのです。

世の中には、私を思い通りにしようとしている人たちのように、仕事が一番大切だという考えに凝り固まっている人もいます。しかし、人間の価値観はそれぞれで、仕事より、他のことが大切だと考えて行動する人も多くいます。例えば、妹の友達は、父の介護をするために仕事をやめています。社交ダンスの知り合いの男性も、親の介護の関係で仕事をやめています。

親を施設にあずけて、仕事を続けるという選択肢もありますが、その人たちにとっては、自分で親を介護するというのが大切なことなのです。私も、仕事よりも、将来の甥っ子や姪っ子の子とも考えて、木の伐採を優先します。

世の中には、家族のことではなく、自分のやりたいことのため仕事を辞める人もいるでしょう。私の東京でのサルサの先生は、当時、日本一のサルサの先生でしたが、それでも、サルサをより上達するために、外国に研修に行くために安定した仕事をやめました。また、ある女性は、九州に転勤をいわれて、九州に行くとあまりサルサができなくなるので、東京に残ってサルサをするために会社をやめました。

人によっては、すでにサルサは上手なのですから、仕事をしながらサルサの先生をしたほうが、お金的に安定しますし、将来の退職金や年金も会社につとめていたほうが余裕をもった老後を送れると考える人もいるでしょう。しかし、その先生たちは、お金よりも、サルサをより良く踊れるように、生徒の皆さんによりよい指導ができるようになりたかったのでしょう。

その判断について、仕事をやめないほうが良いのではと考える方もいたとは思います。しかし、どのような人生は送るかはその人が決めることです。誰かの行動に対して、このようにしたほうが良いと思うのは、思う人の自由です。しかし、その考えを他の人に強制したりは誰もしません。

私が、どこで生活をして、どのような仕事や家のことをしていくかも、私が決めることです。私を思い通りにしようとしている人たちが、このようにしたら良いと思うのは勝手ですが、それを強制してはいけないです。まして、私が言うことを聞かないからといって、盗聴や盗撮や嫌がらせをしてはいけません。私は、誰かに迷惑をかけたりはしていませんので、どのように生きるかは私の自由です。

私を思い通りにしようとしている人たちは、私を今の家から追い出そうとしていますが、私は今の家から出ない理由は多数ありますが、私が今の家からでる理由は何一つないです。なので、私が今の家から出ることはないです。それは、何度も書いているのですが。。。