サルサなくして

2023年11月27日

私は、東京でのパフォーマンスチームは、「サルサなくして生きる意味なし」と書かれたおそろいのTシャツでパフォのリハーサルをするチームに所属していました。

チームの練習は、土曜と水曜にあったのですが、水曜の練習は夜21時~23時まででした。私は、その当時、山手線の駅近くに住んでいたので、23時に練習が終わっても、23時30分頃に帰れて、何とか0時すぎには、床につけていました。しかし、東京は、住宅事情がたいへんですから、大部分のメンバは練習場所から家までは、かなりの時間がかかったのではないかと思っています。女性は、化粧を落としたりもしないといけないですから、寝るのはかなり遅くなったのだと思います。また、次の日も仕事があり、やはり住宅事情がたいへんなので、通勤に時間がかかったでしょうから、朝、かなり早くおきていたのではと思います。

また、はっきりおぼえてないですが、私たちの上位のチームは土曜の練習は9時からで、ウォーミングアップのため8時30分には来ていました。練習場から2時間はかかるのではという女性もいましたし、そうすると、相当早くおきないといけなかったのではと思います。

私たちのチームが、フロアで待っているときに、上位のチームの方が練習してたのですが、その中の一人の女性が、たぶん倒れたのでしょう、ベンチに運び込まれて、横になっていました。倒れるほどの、練習をしないといけないほど、厳しい練習を、真剣にしていたのだと思います。それを見て、サルサに対する思いがずいぶんとかわりました。

私が所属していたパフォのチームの女性が、がんになり、手術をするようになったのですが、その女性が、私たちにまず説明したのは、「手術で体の前を切っても、切った場所は衣装に隠れるので問題ないですよ」という説明でした。がんの手術は、命にかかわるような問題だと思います。衣装に対してどうのこうのよりも、まずは、がんに対して、少しでもよりよい対応をというふうに考えるのが普通だと思います。場合によっては、パフォのチームをやめるという考えもあると思います。しかし、その女性は、もちろん体のことも考えたのでしょうが、パフォへの影響のことを、大事に考えたのだと思います。まさに、Tシャツの「サルサなくして生きる意味なし」の標ぼうに違えないチームだったと思います。当時の私は、パフォのチームに所属するのがはじめてで、サルサのスキル的にも低くかなりたいへんでしたが、そのようなこともあり、がんばれるだけ、がんばったつもりです。

私が所属していた、パフォーマンスチームのことだけでも、このような感じで、皆さん、サルサに対して思い入れがとても強くとても真剣にサルサに取り組んでいました。私が所属していたチームだけでなく、ほかのチームもメンバの方も、皆さん、とても真剣にサルサに取り組んでいたいと思います。

サルサを上達するために、先生のレッスンを受けるだけでなく、同じレッスンを受けてるメンバたちで自主的に練習することが、一般に行われていました。私が、パフォーマンスチームではないですが、別の団体のレッスンに所属していたとき、そのときのメンバの女性から、「土曜の夜12時~朝6時までスタジオがとれたので皆さん練習しましょう」との連絡がありました。東京は、スタジオの事情もたいへんで、なかなかスタジオを確保するのはむつかしいですが、さすがに、私は徹夜してまで練習はどうかと思ったので、不参加だったのですが、パフォーマンスチームに所属していなくてもサルサを上達するために、みんなそれくらいの思いはあったのです。

私が、松山に帰って、SHJ主催のペアコンテストにサルサで出場したときのことです。ペアコンテスには出場するためには、以下のようなことが必要です。
 ・曲の選曲
 ・レギュレーションどおり2分以内に編曲
 ・振付を考える
 ・練習
協力してくださった方々はたくさんいましたが、先生はいないですので、基本は自分たち2人で、それらのことをやらないといけなかったのでとてもたいへんでした。二人とも仕事をもってましたが、ほとんど毎日、休まず練習したと思います。JSCや世界大会にむけては、振付にトリックをいれたのですが、私が、あまり上手にできなかったので、パートナーの女性の体にかなり負担がかかったのではと思います。でも、彼女は、そのようなことは一切言わなかったです。私も、第5腰椎分離症があったので、腰にかなりの負担がかかり、痛みがかなり出ることも多かったです。しかし、JSCや世界大会に出さしていただくのですから、体を痛めても少しでも良いものにしたいと思い、体が痛くても練習しました。いつも思っていたのは、「歩けなくなるようなことになっては困るので、そこまでは練習できないけど、サルサが2度とできなくなるようになったとしても、しかたない」と思って練習をしてました。実際、体はかなり痛めてましたが、当時から、ホームページにも書いている、とても上手なマッサージの先生に施術してもらってましたので、何とか、なっていた状況です。もちろんパートナーの女性が上手だったというのはありますが、それくらいの思いがあって練習してたので、JSCや世界大会に出場できたのだと思います。

SHJ主催のペアコンテストのサルサ部門に出場した後、SHJ主催のペアコンテストのバチャータ部門に出場したのですが、こちらもとてもたいへんでした。パートナーの女性は、バチャータの本場の国でバチャータを習ってたのですが、私は、バチャータを習ったことはなかったです。パートナーの女性にあわせて、バチャータ特有の体の動きをするのですが、なれない動きなので、彼女の動きについていけず、最初は、10秒~20秒程度しか動けず、すぐに休憩するような状況でした。そこから、1年くらいかけて、ペアコンテストに出場したのですが、こちらも、先生はいないですから、ともかくたいへんでした。2人とも仕事をもっていましたが、ほぼ毎日練習してました。また、その当時は、土日にサルサの教室もしており、私が先生で、彼女がアシスタントのようなことをしていたので、仕事やサルサ教室もしながら、ペアコンテストを目指していたので、とてもたいへんでした。このときも、かなり無理をしていたので、腰等がかなり痛かったですが、サルサのペアコンテストの時と同様に、「歩けなくなるようなことになっては困るので、そこまでは練習できないけど、バチャータが2度とできなくなるようになったとしても、しかたない」と思って練習をしてました。こちらも、体はかなり痛めてましたが、当時から、ホームページにも書いている、とても上手なマッサージの先生に施術してもらってましたので、何とか、なっていた状況です。こちらも、もちろんパートナーの女性が上手だったというのはありますが、それくらいの思いがあって練習してたので、JSCに出場でき世界の発表会に選ばれたのだと思います。

現在の私は、社交ダンスをしていますが、サルサのときに、かなり無理をしたこともあり、第5腰椎分離症だけでなく、右ひざが変形性膝関節症です。どちらも痛くもあるので、あまり無理はできないです。社交ダンスは、競技会等もありますが、サルサのときに十分すぎるほど大会に出させていただきましたし、無理はできないので、競技会に出場するつもりはないです。無理しないように社交ダンスを続けて、体調の関係で砥部から電動自転車で行ける範囲しか行動できないですので、松山のクイーンダンス教室のレッスンと、砥部松山近辺でのダンスパーティに参加していければと思っています。

私は、今後ずっと、松山で社交ダンスをしていきますので、サルサをすることはないですが、上記したように、多くの方がサルサに真剣に取り組んできたことによって、サルサが発展してきたので、今後もみなさんにがんばってもらって、今後も、サルサが発展していければと思います。

Posted by 愛媛のダンサー